組織を生かす引き算の行動選択
組織に働く心理的・構造的な慣性
組織はいったん方向性が決まって動き出すと、その方向を維持しようとする「慣性」が内的に働き、外部環境が変化しても容易には方向転換できなくなります。
その「慣性」は、ビズガイバーの分類では以下の心理的・構造的な5層12要因で説明されます(注1)。
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[第1層] 個人の深層心理
- 限定された合理性(Bounded Rationality)
人は完全に合理的ではなく、情報・時間・認知に制約があるため、過去の延長線上にある「とりあえず納得できる選択」で満足するという認知上の限界 - 損失回避バイアス(Loss Aversion)
人は完全に合理的ではないこと(限定された合理性)に起因して、何かを変えたときに「得をすること」よりも「損をすること」のほうを強く意識するという心理 - 不作為バイアス(Omission Bias)
人は完全に合理的ではないこと(限定された合理性)に起因して、行動して失敗するくらいなら行動しないで失敗するほうが痛手が少ないと感じるという心理 - 正常性バイアス(Normalcy Bias)
変化や危機の兆候に直面しても「一時的なものだ」「自分たちは大丈夫」と過小評価する - 現状維持バイアス(Status Quo Bias)
損をしたくない(損失回避・不作為バイアス)というリスクに対する恐怖から、不満があっても現在の状態を保とうとする - 集団思考(Groupthink)
集団の調和や結束を維持しようとするあまり、客観的で批判的な思考ができなくなり不合理・危険な意思決定さえも下してしまう現象 - エージェント状態(Agentic State)
行動の責任を組織や権威者に転嫁し、自分は単なる代理人(命令の実行担当者)であるとして倫理的・客観的な判断を放棄する状態 - サンクコスト効果(Sunk Cost Effect)
これまでに投じた費用(サンクコスト)に対して、「ここで止めたら今までの投資が無駄になる」と非合理的に執着してしまう現象 - コミットメントのエスカレーション(Escalation of Commitment)
ここで止めたら今までの投資が無駄になると非合理的に執着し(サンクコスト効果)、過去の投資(判断)は間違っていなかったと証明したい自己正当化も働いて、引くに引けず投資をさらに上乗せ(エスカレーション)してしまう現象 - ドグマ化(Dogmatism)
<思考の硬直> 過去の成功体験や理念が神格化(タブー視)され、異論を挟むこと自体が許されなくなる心理的・文化的な縛り - 経路依存性(Path Dependence)
<仕組みの硬直> これまでに構築した技術、設備、業務手順(ルーティン)に縛られ、別の選択肢へ切り替えるコストが高すぎて戻れなくなる構造的な縛り - 組織慣性(Organizational Inertia)
<組織全体の硬直> ドグマ化・経路依存性の思考・仕組みの硬直化が複合的に絡み合い、外部環境がどれだけ激変しても、組織全体が「これまでの方向性」を維持しようとする強い重力
[第2層] 個人の認知
[第3層] 集団の力学
[第4層] 組織の深追い
[第5層] 組織の硬直化
慣性が招く不合理
これら「慣性」が複合的に絡まり、組織が構造的に硬直化して重大な損失や不正に陥った事例が、日本の大企業に限っても数多くあります。
- 三菱自動車:リコール隠し、燃費不正(2000年〜2004年、2016年)
強固なトップダウン体制のもと、上層部が提示した高い目標設定が絶対視された。現場は「開発不可能」「不正を止めるべき」という進言が許されない環境に追い込まれ、組織的な隠蔽・不正が長期にわたり暴走した - シャープ:液晶事業への過剰投資(2004年〜2024年)
「液晶のシャープ」としての過去の成功に縛られ、巨額の設備投資を継続。リーマンショックや外資系企業の台頭による価格暴落後も、投資規模の大きさから引くに引けず最終的に液晶事業の縮小・生産停止へと追い込まれた - 東芝:原子力事業の巨額損失と隠蔽(2006年〜2017年)
国策的な原子力事業を担うという自負と組織構造が事業撤退をタブー視させ、原子力事業の買収に伴う想定外のコスト爆発や工事遅延という危機的状況を経営陣が楽観的に過小評価した。原子力事業の巨額買収という過去の選択が事業継続判断を狂わせ、巨額の損失を隠し続ける不正会計の泥沼に陥った - パナソニック:大型買収に伴う誤算(2008年〜2013年)
三洋電機の巨額買収で投資利益率(ROI)を追求するあまり、シナジー効果を過大評価して市場の構造的変化や価格競争激化の影響を過小評価した。日本の総合家電メーカーの伝統的な成功パターンへの固執や自社技術への自負がグローバル市場での戦略転換を遅らせ、短期間で巨額の減損処理(評価損)を余儀なくされた
組織は行動の引き算が苦手
これら事例から分かるのは、組織は「新しいことを始める」足し算より「すでに行っていることを止める」引き算のほうが圧倒的に苦手ということです。
たとえば、株式会社ReLicがまとめた記事(2026年3月公表)によれば、アービムコンサルティングの調査では大企業が取り組んだ新規事業について以下の回答が得られたとしています。
この調査結果は、大企業の新規事業の93%が目標に届かずに終わる可能性に晒され、そのうち63%が撤退基準のないまま引くに引けず損失を膨らませリソースを食い潰す状況に置かれていることを示しています。
- 累積損失を解消して黒字化に至った割合:7%
- 撤退基準を設けている割合:14.6%
また、月間総務が国内の企業を対象に行った調査(2026年3月公表)によれば、多くの企業が定例的に実施している朝礼について以下の回答が得られたとしています。
この調査結果は、外的環境が変化しているにも関わらず、約6割の企業が過去の組織行動を見直すことなく慣性的に行い続けていることを示しています。
- 形骸化防止の対策を何もしていない:31.7%
- コロナ禍以降も運用の見直しを行っていない:59.4%
さらに、公益財団法人 日本生産性本部が公表した「労働生産性の国際比較2025」(2025年12月公表)によれば、2024年の日本の労働生産性(注2)の国際的位置付けについて、OECDデータに基づく以下の統計値が示されています。
この統計結果は、日本の労働生産性がOECD平均の79.4ドル(7,557円)を大きく下回り、主要7カ国(G7)のなかで最下位であることを示しています。
- 日本の労働生産性:60.1ドル(5,720円)
OECD加盟国38カ国中28位 - 日本の1人当たりの労働生産性:98,344ドル(935万円)
OECD加盟国38カ国中29位 - 日本の製造業の労働生産性:80,411ドル(1,188万円)
OECD加盟国35カ国中20位
これらを総括して見えてくるのは、労働生産性が低い日本の組織ではとくに、その業務が無駄だと労使双方が認識しながらも止められない慣性的な問題を抱えており、そのために生産性向上や新しい取り組みへの適切なリソース投入が妨げられている傾向が強いことです。
引き算の行動選択
現場が動かずDXなどの新しい取り組みがなかなか進まないのは、経営陣のリーダーシップ不足や現場社員のモチベーション不足が原因ではありません。
組織のリソースは限られています。「新しいことを始める」足し算で業務を増やす以上に、「すでに行っていることを止める」引き算でリソースを解放させる必要があります。
ここでは、引き算の行動選択を行う実際の意思決定プロセスとして以下3つのステップをご紹介します。
- 上述の「慣性」による認知等の歪みを最小化する
- 慣習・慣例的な行動を疑う
業界や組織で慣習・慣例的に「当たり前にやっていること」について、もしそれを(完全にあるいは部分的に)やらなければ何か不都合が生じるかを具体的に考える - 悪魔の代弁者を立てる
あえて批判的な立場から業務やプロジェクトの現状に異議を唱える者を割り当て、その意見を参照する - 客観的な第三者の意見を入れる
業務やプロジェクトに投資しているなどの利害関係がなく、かつ、それらの全体像を的確に把握できる第三者(社外取締役や外部コンサルタントなど)の意見を参照する - 組織ガバナンスを機能させる
組織全体がその目標に向かって健全に機能するための仕組みである組織ガバナンスを機能させて、「集団の力学」にできるだけ陥らないようにする(参照:戦略的視点#9「組織ガバナンス」)
- 慣習・慣例的な行動を疑う
- どの業務やプロジェクトを引き算するかの優先順位を定期的に判断する
- 適合度と成果でマッピングする
業務やプロジェクトを横軸「理念・戦略への適合度」と縦軸「現在の収益・成果」の4象限でマッピングする(第3象限に入ったものが引き算の対象) - 目的や理由を明確化する
業務やプロジェクトおよびそれらの各手順(プロシージャ)について、なぜそれが必要なのかという目的や理由を明らかにする(明らかにできないものは引き算の対象) - ゼロベースで考える
今その業務やプロジェクトを全くやっていないと仮定した場合、その業務やプロジェクトを今から是非やるべきだと思うかを考える(やるべきだと思わないものは引き算の対象)
- 適合度と成果でマッピングする
- 以下の構造的摩擦を具体的にどう解消・軽減していくかをあらかじめ決める
- 評価インセンティブの歪み
撤退や中止の判断は概して社内で評価されず、むしろ失敗責任を問われることになるため、個人のキャリア保身から判断を先送りするという構造的摩擦 - リソースの硬直性
それぞれの業務やプロジェクトには予算・人員・設備やその進め方(ルーティン)が固定的に割り当てられているため、ある業務やプロジェクトを止めた場合に余ったリソースをどこに回せばよいか分からず浮いてしまうという構造的摩擦(注3) - ステークホルダーとの関係性
その業務やプロジェクトに相互依存している社内外のステークホルダー(利害関係者:株主、顧客、取引先、従業員、地域社会など)がすでに存在するため、自社の都合だけでは摩擦や反発が大き過ぎて止められないという構造的摩擦
- 評価インセンティブの歪み
構造的摩擦をどう解消・軽減するか
前述の「構造的摩擦を具体的にどう解消・軽減していくかをあらかじめ決める」ヒントとして、たとえば以下のようなものが考えられます。
- 評価インセンティブの歪み
- 前向きな撤退を表彰する
見事な引き算(サンクコストを最小限に抑えた撤退)を行ったチームを称賛・評価する社内制度をつくる - 引き算に伴う喪失感を解消する
なぜその引き算が必要だったかの理由や、担当者のこれまでの努力を否定するものではないことを経営陣およびリーダーが自分の言葉で包み隠さず説明する
- 前向きな撤退を表彰する
- リソースの硬直性
- 段階的に縮小しつつ資源を再配分する
業務・プロジェクトを段階的に縮小するのに並行して別の業務・プロジェクトを進め、そこへのシフト(資源再配分)を促す - 引き算(撤退)コストを算定する
解約金や違約金、システムの廃棄費用、人員配置転換に伴うコスト、顧客への代替案提示コストなど、引き算を実行するにあたり発生する一時的なコストを可視化する
- 段階的に縮小しつつ資源を再配分する
- ステークホルダーとの関係性
- 撤退基準を仕組み化する
業務・プロジェクトの運用ルールとして「何を下回った場合に自動的に引き算の対象とするか」の客観的数値をあらかじめ設定しておく(プロジェクトの場合はその契約書にサンセット条項を規定するなど) - 事業譲渡・MBO(マネジメント・バイアウト)する
そのプロジェクトを継続したい社内メンバーや(競合)他社に譲渡・売却する - 分社化(スピンオフ)する
そのプロジェクトを別会社として独立させ、資本関係を切り離す
- 撤退基準を仕組み化する
注1)ここでは各用語について、学術的な定義通りの厳密さより、分かりやすさを優先して説明を付しています。
注2)労働生産性とは、「労働投入量に対する付加価値額または生産量」をいいます。[労働投入量] = [労働者数] × [労働時間]
注3)引き算の行動選択をしてリソースに余裕が生まれた場合、そのリソースをどう配分するかを決めずに余剰として遊ばせておくのは得策ではないと考えます。というのは、リソース(たとえば時間)に余裕が生まれると、人というものは時間すべてを使い切るまで既存の業務を無駄に引き伸ばしてしまう可能性があるからです(パーキンソンの法則)。
戦略的視点
組織はいったん動き出すと外部環境が変わっても容易には止められなくなる「慣性」が働く。
その「慣性」は、ビズガイバーの分類では12の要因からなり、5層「個人の認知限界・深層心理(損失回避バイアスなど)」「個人の認知(現状維持バイアスなど)」「集団の力学(集団思考など)」「組織の深追い(コミットメントのエスカレーションなど)」「組織の硬直化(組織慣性など)」に大別できる。
この「慣性」が招く不合理は、日本の大企業に限っても巨額損失や社内不正など深刻なものが数多くある。
各種の事例や統計を総括して見えてくるのは、組織は概して「新しいことを始める」足し算より「すでに行っていることを止める」引き算のほうが圧倒的に苦手な傾向である。
とくに、労働生産性が主要7カ国(G7)のなかで最下位である日本の組織は、その業務が無駄だと労使双方が認識しながらも止められない慣性的な問題を抱えており、そのために生産性向上や新しい取り組みへの適切なリソース投入が妨げられている傾向が強く見られる。
現場が動かず新しい取り組みが進まない原因は、経営陣のリーダーシップ不足や現場社員のモチベーション不足ではない。
組織のリソースは限られている。「新しいことを始める」足し算で業務を増やす以上に、「すでに行っていることを止める」引き算でリソースを解放させる必要がある。
そのためには次の3つのステップが重要である:①「慣性」による認知等の歪みを最小化する、② 引き算する業務やプロジェクトの優先順位を定期的に判断する、③ 構造的摩擦(評価インセンティブの歪み/リソースの硬直性/ステークホルダーとの関係性)をどう解消・軽減していくかをあらかじめ決める